耳のことを話せない


私が片耳が聞こえないことを知っている人は、家族と親せきと友達数人だけ。


今は少しずつ話すようにしていますが、

基本的には、耳のことは話さない。

困っていないから話さないのではなく、

私の中で二つのトラウマがあるから、話せない。



【無関心】

ひとつが、話してもあまり問題視されないこと。健聴者は聞こえるか聞こえないかでしか判断しないことが多いので、「片耳が聞こえない」という認識ではなく「耳が遠い人」と同じくくりにされてしまいます。私の場合は音を音として認識する能力に乏しいので、「耳が遠い」というより「耳が無い」という感覚の方がしっくりくる。聞こえるのと認識出来るのも私にとっては別物で、言葉を言葉として認識出来ないことの方が多かった(幼い頃はほとんど分からなかった)。テレビの音はただの雑音で、音楽は耳鳴りの元、人の声は日常生活の音でかき消されて生きている心地がしなかった幼い頃。こんなにみんなと違うのに、周りに話しても無関心。そんな生活が当たり前だったので、いつしか耳のことは健康診断の時に検査員に伝えるだけになっていきました。


「無関心」の中にいると、心がどんどん死んでいってしまうので、いっそのこと言わない方が「無関心」の孤独から逃げられて楽だったんです。


【恐怖心】

ふたつめが、聞こえる方の耳に向かって叫ばれた恐ろしい経験からです。小学生になって間もない頃だった思うんですが、耳が聞こえなことをクラスメイトに話したら、聞こえる方の耳に向かっておもいっきり叫ばれたんです。その頃は、よく耳のことを話していたんですが、そのことがきっかけで、怖くてしばらく人と話しませんでした。叫ばれた後は、耳鳴りもしますからしばらく耳も聞こえなくなります。人が怖いわけではなくて、聞こえなくなる恐怖心で、人と距離をおくようになりました。


今は経験と口話で叫ばれても聴力をある程度は補えますが、当時は耳鳴りがすると言葉が認識できなくなるので、恐怖心から耳のことは言わなくなりました。


【このままじゃ嫌だ!】

今はこうして言葉にして表現できていますが、幼い頃や小学生の頃は自分に何が起きているのか分かりませんでした。普通とは違うと正しく理解したのも、ごく最近。片耳が聞こえない友人もいましたが、その子とは耳のことはあまり深く話しませんでした。普通と違うのが怖かったから話題に出るのを避けていたのかもしれません。


「無関心」という孤独と、「音を認識できなくなる」恐怖心から私は聞こえないことを無視して、ただ出来ることをがむしゃらにやっていきました。幸いにも非常にポジティブな性格なので、前を向くための目標があればそれほど苦にはなりませんでした。


ですが、

社会人になって、

ツイッターを初めて、

私の感覚は片耳難聴者としては普通だと知りました。

今までは受験、就職という目標があって、

それに向かって努力をすれば前を向いていられました。

でも、社会人になってしまった今、前の向き方が分からない。


無知だったんです。

自分に対して。


これからは自分のことを知ろうと思い、

最近は自分の耳に対して調べて、考えるようにしています。


私は前を向くために、

片耳難聴のことを伝えていきます。

まだまだ、練習中ですが…(伝え方が不器用すぎる問題…)。


同情して欲しいわけではないので、ご注意ください!!

向きあいたいだけです!


最後まで読んで頂きありがとうございました!

また、片耳難聴者として思ったこと感じたことを発信していきたいと思います。

片耳難聴が広まりますように…。



mizuna

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