片耳が聞こえない【小学生】

最終更新: 2019年6月25日

※冒頭は前回と同じです。【小学生の頃の聞こえ方】から新しい記事です。

片耳が聞こえないとはどんな感覚なのか。

両耳が聞こえる人には、想像しにくいものだと、常々思っています。

そこで、片耳難聴を少しでも知ってもらうために私の体験談を出来るだけ細かに

お伝えすることにしました。

私の感覚ではありますが、参考にして頂ければ幸いです。

【私の耳との向き合い方】

私は耳が聞こえないことを、基本的には話しません。

というよりは、気にしないように生きてきました。

この考え方が正しいとは思いませんが、

小さい頃は理解者が全くいなかった私はこう生きるしかなかった。

片耳難聴は理解されにくく、不自由ではないが不便な障害です。

特別扱いして欲しいわけではなく、苦しさを分かって欲しい。

突発性難聴の発症者が少なくない現代で、

「もしかしたら自分の身にも起こることかもしれない」と、

他人事のようにとらえずに健聴者の方々にも読んで頂きたいです。

誤解を招かないように伝えておくと、私は片耳難聴者で良かったと思っています。

この障害が無かったら、私は何も努力をしない人間になっていた自信があるからです。

なので、どうか「可哀想」と思って読まないでいただきたいです!!

【小学生の頃の聞こえ方】

「片耳が聞こえない」というぼんやりした自覚の中で、

小学校に進学することになりました。

自分は人とコミュニケーションが取れないことがコンプレックスだったので、入学する前は不安で押しつぶされそうだったことを覚えています。入学してしばらく経つと、物事を深く考えこまない性格のお陰で、友達も少なかったですが出来ました。本当にありがたかった。ただ、あまり喋らない小学生時代を送っていたので、人見知りとして扱われていました。

今になって分かったことですが、私は人見知りというよりか、人の声が聞き取れないゆえに人と距離を置いました。その行動が人見知りに見えたのだと思います。近所のおじいちゃんの家に勝手に上がり込んでくつろいだり(今はやってないです、すみませんでした!)、知らない人の隣に好んで座ったりと、人懐っこい子でもあったからです。人懐っこいけど、コミュニケーションをとることが上手く出来ないジレンマを抱えていました。好きだけど、気持ちを共有するために高いハードルがありました。



小学生になって一番大変だったのは、初めて知る言葉を聞き分けられないところです。知らないということは、聞き取れないということ。生まれつき左耳が聞こえないせいか、音の聞き分けがとても苦手だったからです。聞こえているけど、言葉として認識出来ない毎日。勉強は教科書を隅から隅まで暗記をしていたので、そこまで困ることはありませんでした。初めのうちは、文字を覚えるのではなく画像を覚える感覚で覚えるのがコツです。

恐ろしいのが、発表しなければいけない場面。

授業ですから、ほとんどが知らない単語ですので聞き取れません。先生の質問の内容を理解できない絶望感。聞き返しても聞き取れないときは聞き取れない。ただ聞きとれないこともありましたが、聞こえているけど言葉や質問を認識出来ないことの方が多かったです。

先生に相談したこともありましたが、軽く受け流されてしまいました。

医師に「日常生活に問題なし」と診断されてしまったのでしょうがないことなのかもしれませんが。



自分で言うのもなんですが、小学生の頃の私はかなりの変わり者だったと思うんです。質問しても、「はい」しか言わない。話しかけても目は合うが、反応がない。耳元で話しかけている(さけんでいる)のに、まるで聞こえていないようだ…等々。

この頃、耳が不自由でもう一つ困ったことは、困っていることを言葉にして伝えることが出来ないこと。また、自分がどんな状態なのかを知ることが出来ないこと。知らない言葉を聞き取る能力を補うために、勉強は必死になってやっていました。同時に小説やアニメにはまっていきました。人間関係が分かりやすく、時系列にそって説明されているのでわかりやすい。なにより何度でも読み返したり、見返したりできるので、言葉の勉強にもなります。友達とは話すというよりは聞くことが多く、ここで人の声を聞けば聞くほどコミュニケーションが取れることに気が付きました。その人の普段の様子から、今どんな気分なのかを察知できるようになっていきました。

子供ながらに色々な方法で聞く力を高める努力をしていきました。



【小学生の自分へ】

医師のおしゃっていたように、日常生活を送れない程ではなかったです。勉強もそれなりにでき、友達もいて、日常生活に問題が無いように見えます。

ですが誤解を招くことがとても多く、

辛かったのは誰も分かってくれないという感覚でした。

耳が聞こえないせいで、怒らせてしまったり、困らせてしまったりたくさんありました。確かに、機械的に授業を受けるだけなら問題ありませんが、みんなが何で笑っているのか分からなかったり、友達が泣いていることにも気づいてあげられなかったり、人らしさが無くなっていくような言いようもない感覚でした。問題や揉め事が起こるたびに、私の性格に問題があるように感じて辛かった。

出来ないことを自覚して、

私自身が少しでも変わっていけたらよかったのにと思うことがあります。

苦手ではなくて、出来ないのだから。

願っても、怒っても、悲しんでも、どうにもならないのが障害です。

あの人よりも軽いから大丈夫ではなくて、ほかの人が出来ても出来なくても、私が出来るようになるわけではないのです。



出来るようになる努力と、出来るようになれないのに努力するのは大きく異なります。私は出来るようにならない努力は切り捨てて、人とは違ったやり方で努力してきました。

とはいえ、楽しみながら色々なやり方を試してみるのがおすすめです。私の場合ですが、気持ちが明るい方が、努力をしていても努力をしているような感覚になりません。

最後にですが、上記の内容は私個人の感じ方ですので、

他の片耳難聴者さんと全く同じとは限りませんのでご注意ください。




最後まで、読んで頂きありがとうございました!

また来週、新しい記事を更新いたします!

片耳難聴が広まりますように!




mizuna

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